十人十色

 漢数字の表記には「十字式」と「一〇式」がある。十字式は桁の漢字を使った、たとえば『二十億光年の孤独』などで、一〇式のほうは『少年口伝隊一九四五』のように桁の漢字を使わない、あるいは「二〇億」といった具合に桁の漢字と組み合わせて使う。
 ちなみにこの「十字式」と「一〇式」の呼び方を、私はどこかで学んだ記憶があるのだが、組版や編集に携わっている人に尋ねても「違いは知っているけど、そんな呼び方は知らない」と言う。グーグル先生に尋ねても「十字式健康法」や「一〇式戦車」しか返ってこない。お一人さま専門用語だったのかと少し寂しく思うが、便利なのでここではこの専門用語で話を進めさせていただく。

 最近の書物では一〇式が圧倒的に多い。だからといって成句やことわざに含まれる数字まで一〇式でやってしまうと「十人十色」が「一〇人一〇色」となり、一括変換して大急ぎで出版された電子書籍みたいになる。
 表記を統一するのが執筆におけるルールのひとつであり、「%」を使うなら「パーセント」は使わない、「すべて」を使うなら「全て」は使わない、同様に「一〇式」を使うなら、成句、引用、ことわざ以外で「十字式」は使わない──と、校正や校閲の真似事を始めて間もない頃、私はそう固く信じていたのだが、あるベテランの編集者による校正原稿を拝見したとき、そこには一〇式と十字式が混在し、しかもそれらがシンプルなルールによって巧みに使い分けられていることを知って驚いたものである。
 そのルールとは、漢字圏由来の助数詞には十字式、非漢字圏由来のそれなら一〇式、という実に単純かつ論理的なものだった。助数詞がメートルなら富士山は「三七七六メートル」で、尺なら「一万二千四百六十二尺」となる。「九〇〇ページに及ぶ大著」「六百五十巻の仏典」など、大体のものは助数詞によって振り分けられる。助数詞が共通するケースでも、西暦なら「一七〇一年」、元号なら「元禄十四年」といった具合にそれぞれの文化圏の慣習に倣えばいい。それでも区別がつかないものは筆者なり編集者なりの好みで押し通す。私なら迷わず「十字式」を選ぶだろう。縦組みの場合、数詞の「一、二、三」が連続するとパッと見で判読しづらいからだ。「一一月」が「二月」に、「一二月」が「三月」に見える。十字式で「十一月」「十二月」と書けば、斜め読みでも読み間違えないし文字数も増えていない。年齢も同じ理由で十字式を採る。

 ところで最近、まさに今述べたとおりのやり方で、十字式と一〇式をみごとに使い分けている本に出逢った。
 華文ミステリの新鋭、陳浩基の『13・67』である。友達から頂戴した本なのだが、ミステリの組み立てよりも数詞の使い分けにまず感心してしまった。拍手は著者にではなく、訳者と編集者に贈るべきだろう。

 世の中の本から十字式の数詞が減って一〇式に占拠されそうになり、その一〇式すらもアラビア数字が脅かそうとしている。一〇人一〇色どころか「10人10色」になりそうで、加えて、新聞各社による悪名高い「交ぜ書き(猥せつ、隠ぺい、失そう、などなど)」や、平成二十二年度内閣告示の「常用漢字表」と「公用文における漢字使用等に関する実施要領」のせいで、漢字表記の機会は減少する一方だ。そんな漢字衰亡の日本で、漢字の復権を後押ししてくれるのはもしかすると華文ミステリかも知れないと、半分くらい本気で期待している。なにしろ人名・地名だけでも難読漢字(ルビ振り必須)がずらずら並ぶ。
 人名といえば、このミステリに登場する警察側の人名はカタカナ(ロー警部、クワン警視、ツォウ上級警視など)で、敵対側やその他の人名は漢字(ルビ付き:兪永義、楊文海、石本添など)で書かれてあり、どちら側の人間なのか一目瞭然となっている。面白い工夫だ。

 『13・67』の筋書きとはぜんぜん関係ない感想ばかり書いてしまったので、少しだけ触れる。
 物語そのものは本格推理でありながら社会派のそれのような、舞台となる香港という都市の空気と地理を克明に描き、香港社会に大きな変化をもたらした転換点の要素をときには色濃く匂わせて、それによって揺れ動いた主要な登場人物の来し方を詳しく辿り……、つまり赤川次郎や東野圭吾や綾辻行人あたりを愛読している読者には回り道だらけでイライラする筆運びであるとだけ言っておこう。私にはこの回りくどさのおかげで「都市そのものが主人公」のように感じられ、むしろ好ましかったりするのだが、何を好むかは人それぞれ、十人十色である。

13・67 Amazon