ロスコの風景

Slow Swirl at the Edge of the Sea, 1944
Untitled, 1953
Untitled (Black on Grey), 1969-70

 ジャコメッティは敬愛してやまない画家・彫刻家だが、彼の全作品に惹かれているわけではない。彼のシュルレアリスム時代の塑像は極めて観念的で、私の関心の外にある。ジャコメッティ作品といえば、大戦後以降の、やはりあの細く屹立した塑像たちや矢内原の肖像などに限られる。
 同様にマーク・ロスコの作品も 1950 年以降の、いわゆるロスコ様式と呼ばれるもの、その後の Dark Painting と名付けられた暗色調の絵画たちに限定される。垂直に積まれた二つの矩形から成る絵の前に立つと、朝な夕なの光彩を湛えた空と海あるいは天と地を、ただ茫然と眺めているような気持ちになる。

 アウストラロピテクスの時代から、もしくは猿人以前から、人類がくり返し眺めてきたであろう天と地、空と海によるホリゾンタルな風景は、生命の原初の風景 Paysage primal であるとともに原始の風景 Paysage sovage でもある。しかしそれを前にしたとき、私たちはこのように解説したりしないし、意味を問うこともしない。意味がないからではなく、意味の有無も含め、問うという行為そのものを忘却し、さらには日常のあらゆることを忘却して、冥府の神との約束を反古にしたシーシュポスのように思考をとめる。
 ちなみに私が話しているのは、旧約の神による命名行為(天地創造)以前の言い方をするなら、上下の無辺大な矩形についてである。上の矩形を大空と認識し、下のそれを大地または海と認識する以前の、つまりその風景を眼前にして思考が止まっている状態の話である。

 不安と休息のあいだの振幅が、おそらく、あのバロック芸術の激情的表現、あるいは怪奇的表現を生み出す源泉となるのであろう。貝殻や渦巻きの連想からいえば、円環を描く永劫回帰の思想はバロックであり、弁証法や進化論は古典主義であろう。さらに現代世界の哲学界や美術界の動向に関していうならば、実存主義はバロックであり、構造主義は古典主義的といい得るかもしれず、またシュルレアリスムはバロックであり、抽象絵画は古典主義的であるといってよいかもしれない。

澁澤龍彦『ヨーロッパの乳房』

 ミステリ作家の高村薫さんが NHK の番組でロスコの作品(とくに晩年の)について「何も意味せず、何かの図形でもない純粋抽象」と語っていたそうだが、まっさらの画布でさえ物体としての意味を有しているのだから、そこにひと刷けでも絵具が塗られたら無意味ではいられない。